2019年2月6日

 

結局、このブログは日記として使うことにした

 

 

今日の日記

今日B2秋学期のテストが全部終わって明日からは春休み。久しぶりにまとまった時間ができるから凄くうれしい

 

この休みはひたすら熱と統計力学をやろうと思ってる、田崎熱力学の残りと田崎統計Ⅰの2週目をメインに他の熱力(清水、佐々、小出)の理論構成を見てまわりたい

 

あと久保の演習もやらねば、やること沢山

 

 

読んだ本について

今日はちくま学芸文庫の「物理学に生きて 巨人たちが語る思索のあゆみ」を読んだ

 

特に、ハイゼンベルグの「理論, 批判, そしてひとつの科学」の章の「理論と観測に関するアインシュタインの意見」という説が印象的だった

 

内容は以下の通り、

 

 

 

量子力学創成期、ハイゼンベルグはボーアとの対話の中で、新しい分野(量子論)に挑むには既存の理論(古典力学)の概念から手を引いて、観測できる量から理論を作る必要があるという考えに達する。つまり、霧箱中に電子の軌跡が見えても速度や位置などの古典論的概念は語るべきではない、ということ。そこで、観測できる量のみ理論に持ち込んで量子論を作ろう、ということになった。

 

でも、アインシュタインはその考えに対し間違いだ、といった。主張は、ハイゼンベルグの言っていることの逆、

 

「観測できる量で理論を決める(観測できる値→理論)」

 

ではなく

 

「理論が何を観測できるかを決めている(理論→観測できる値)」

 

ということだった。

 

また、アインシュタインは「観測可能な量”のみ”語るべきだ」という考えは危険である、とも言っている。それは直接的に観測できるもの以外にも、間接的にほかのものを観測する可能性もあるから、ということである。(量子論でいうところの、振動数、振幅(直接的な観測値)と確率振幅、確率波(間接的な観測値)といったもので、これらは全く別のものである)

 

 

 

と、こんな部分がとても気になった。

というもの、何が観測できる云々の部分が、熱力学の考えを正に言っていると思ったからである。とか言ってるうちに夜も更けてきたから、今日はお開き。これについてはまた色々書こうとおもう。